2019.03.15
「あるんですよ、それが」
寝耳に水というか、初耳。ある人から驚きの証言が飛び込む。
「え、本当ですか?浅原神社も書いてくれる人いるんですか」
「いるんだよ、それが。僕も一昨年かな、神社に張り紙がしてあったのを見つけて、えー!って」
そんな会話があった2日後、マジか?ガチか!?と早速その現物を見せてもらいに伺うと…
はい、あるんですね、これが。浅原神社の”御朱印”です。
恥ずかしながらワタクシ、初めて拝みました。(あるなんて知らなかった!)
町の鎮守であり、片貝まつりのヒノキ舞台でもある浅原神社。”花火神社”の異名でお祭り当日には、全国からの花火ファンや参拝客が長蛇の列をなすのですが…
普段は神職が常駐せず、のんびりとした村社といった雰囲気の境内。もちろんお賽銭箱はありますが、おみくじも絵馬もありません。ところが実は、各町内が持ち回りで担当する社務さんの中に、御朱印を書いてくれる方がいるというんです!
お祭りなどの行事ごとの時に合わせて書くとのことで、はっきり言って激レアです(笑
ご利益もきっと相当なものでしょう。
そういえば浅原神社って、アレコレとないものも多いけど、あるものも多い、なかなかにオリジナルな神社です。
例えば、実際に使っていた三尺玉打ち上げ筒とか。
ちょっとユガミのある?三尺三寸玉の記念碑とか。
その裏に隠されている、「西暦2083年9月開封 関係者一同」と刻まれた謎のタイプカプセル?とか。
(三尺三寸玉が時を超えるカプセルという設定だとしたら、なんだがおしゃれ^^)
四尺玉を開発した花火師・本田善治翁像も。
片貝独特?のワイシャツに法被姿。よく見るとネクタイピンまで。バッチリですね。
意外と注目なのが、すり鉢状の観覧席がぐるりを囲む、立派な屋根付きの相撲場。
実は、あの「大相撲」の日本相撲協会認定、地方では第一号相撲場という格式と歴史があるそう。
昔の村人たちがスモウ観戦した当時の座席表を記録した、かな〜り古い資料も残っています。
現在もお祭りの昼間に上半身裸のスモウレスラーたちが境内を闊歩していますが、あれは県下選抜選手の招待相撲大会を開催しているからなのです。
昔からスモウはこの町のエンターテイメントだったんですね。
不思議な花火の聖地、浅原神社。まだまだ不思議がいっぱい眠っていそうです。
「花火のち晴れ」は、花火のふるさと“カタカイ”の日々を記録する日記のようなものです。いつもの静かな朝から、熱狂的なお祭りの夜まで。どこにでもありそうで、世界のどこにもないかもしれない、この町の姿を伝えていきます。