花火降る町の石碑たち

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新緑まぶしい5月。この緑に覆われた丘がどこか分かる方は、なかなかの花火フリークと言えるんじゃないでしょうか?

正解は、浅原神社境内裏手の丘陵です。9月の片貝まつりでは桟敷席となっているこの場所も、夏場はのんびりとした段々畑の姿なんですね。

緑の日の5月4日、長岡の花火愛好家Wさんのご提案で”例”の場所へ、片貝の花火カメラマン・吉井一男さんに案内してもらいました。

脇道を山に向かって登ってゆくと…

林を潜り抜けた先に、何やら小さな石碑がありました。

“浅原神社 花火場”と刻まれています。

裏には、”昭和四十三年 佐藤冬作 建”とあるようです。

これが例の、片貝まつり当日早朝の神事・花火打ち上げ始めが行われている場所のようです。

昨年に撮影・公開した片貝まつり密着映像(小千谷市地域おこし協力隊の牛久保拓也さん撮影)のワンシーンに、早朝の花火打ち上げシーン(よくぞ撮影した!)が記録されていて、「そんな儀式があるんだ!」「あんなところがあるんか!」と、ちょっとした話題になっていたところ。

自分も初めて確認して、本当にあったんだ〜、と妙な感動が沸き起こりました。

山菜採りから帰ってきたお婆ちゃんは、こんなところでカメラ持って何してんのよ、と我々を怪しんでいたよう(笑

吉井さんによれば、「この辺りは小山(おやま)や二つ坂と言って、中学の頃はここでスキーの授業があったんだよ。あの頃は木なんか生えてなかったんだがな。神社の境内までピューっと滑り降りれた」とのこと。

↑ちなみに、奥に小さく見えるプレハブが、現在の花火打ち上げ場所のようです。

神社裏手の山は、畑とお墓と、花火の桟敷席が入り乱れていて、改めて歩いてみると、ちょっと不思議なところ。

「畑もまるっきり半分は余っちまってるみてぇだなぁ…」と菜の花がまぶしい畑で土をいじっているお爺さん。近づいてみると、片貝が誇る”演歌”の名手・溝手さんでした。

確かに、畑をやれずに余らせている部分が目立つ。桟敷のために年中開けているわけでもないようだけど、特に耕す人もなく、草が生い茂っていた。

2つ目の石碑ゾーン。境内奥の立派な忠魂碑など。戦没者の名前が刻まれていました。

戦前から花火が打ち上がっていたこの町でも、戦時中の約10年間は、花火が打ち上がらなかった。

戦後間も無く再開した時には、それは待ちに待った嬉しい花火だったんだろうと、令和となった現在からも想像できる。

そして、忠魂の石碑群の脇にある、背の高い一本松。

絶好の花火ビューにそびえているため、花火カメラマンや市外の観覧客からはよく邪魔扱いされているようですが、吉井さん曰く「この松は戦後、忠魂碑に合わせて植えられたアカマツ。どれだけ大きくなっても、これだけは切っちゃなんねぇ」

5月の風を受ける一本松。不意に時を超えたドラマに出会ったように、さっとそよぐものがありました。

最後に三尺三寸玉の記念碑。

お隣りの長岡とのいわゆる”大玉合戦”(大型花火の開発競争)の口火を切ったとされる、創業間もない片貝煙火工業の挑戦玉の一つでした。

この記念碑にもかなり貴重なエピソードの数々が!なかなか刺激的なので、それはまた今度にしておきましょう^^

その後、長岡の花火愛好家Nさんのはからいと、片貝の花火カメラマン・吉井さんのお誘いもあって、長岡市中沢の「花火の駅」へ初訪問。

噂には聞いていましたが、花火文化が生きていることを実感できるすごい場だし、コミュニティです。

花火はやっぱり面白い、と勉強始めの1日になりました。

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「花火のち晴れ」は、花火のふるさと“カタカイ”の日々を記録する日記のようなものです。いつもの静かな朝から、熱狂的なお祭りの夜まで。どこにでもありそうで、世界のどこにもないかもしれない、この町の姿を伝えていきます。

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