片貝「祭る」の10年 ‐其の一-

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6月22日㈯、近年には珍しく梅雨らしい雨模様のなか、佐藤佐平治の遺徳を伝える「祭る」が盛大に開催された。

上はオープニングのライブペインティングのひとコマ。今回は花魁だろうか、紅を差したあでやかな和風美人が、無数の「祭る」という薄書きの文字の上に姿を現した。

辞書によると、「祭る」とは、”儀式をととのえて神霊をなぐさめ、また、祈願する。”

特にここ、花火の町・片貝では、2010年に始まった新しいお祭りのことをいう。

その会場は町の中央に位置する忍字亭。

かつて佐藤佐平治家(造り酒屋)が邸宅を構えた場所で、1997年に小千谷市が買い取り、片貝ふれあい公園(建物部分が忍字亭、庭園部分のけやき園)になっている。

「祭る」は、この場所の主だった、佐藤佐平治翁の心に思いを馳せる機会として始まっている。

佐平治は江戸時代、飢饉で餓死寸前の人々の声を聞いて、とてつもない規模の救済活動を行った人物だ。それも、昭和40年代まで135年間という、とてつもない年月をかけて、代々、救済活動を受け継いできた一族でもある。

その様子の一端を、どう皆さんにお伝えしようかと思案した挙句、なんというか勢い重視で某音楽誌みたいな書きぶりになった、エモめの、ライナーノーツ風の見物記を以下に載せます。

エモくてすみません。だって、今回も「祭る」は絶対にフェスだったし、フジロックだったんだもん。もはや。

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祭った。大いに奉った。そしてまいった。

舞いながら奉ったのだが、途中、立っていられなくなるほどの浮遊感があった。浮き足立ち、自然とヒザとコシがリズムをとっていた。コシヒカリとはよく言ったもんだと思う。越後の伝統的なネバリ強さみたいなものが、梅雨時の空気感とともに僕の全身にべったりと貼り付き、ゴム毬の用にしていた。

僕だけじゃない。どこまでも能動的に祭りを行なう、ということがその日、新潟の田舎町で起こっていた。

たとえば、竹と木で特設されたステージと芝生が広がるフロアは、はっきり言って(ほとんど)地続きだった。

広大とは言えない町のど真ん中の公園に、各地から50を超える出店ブースがテント村をつくりだし、それは一つの村社会、一日限りの異空間を形成していた。そこで飛び交う言葉、棚に並べられている品々、店主と交易客との身だしなみのズレを、エスニックという言葉で片付けるのはあまりにも安易だろう。

彼らの商品はそんなに安くない。

太い字で表示されている金額以上に、なにか別の度胸を試されているような感覚。それって、僕らが子どもの頃、片貝まつりで小遣い握りしめて走り回った、あの屋台通りのひしめき合いと同じなんじゃないか!

日常生活の価値基準を揺さぶるような、一時の、一日限りの祝祭性が、会場のいたるところで影を潜める。これ以上は、危険なゾーン。僕らはあの頃、子どもながらにもっと大きなスリルをお祭りの中にウズかせていたのを、不覚にも思い出してしまった。間違いない。記憶の深くにも、そんな感覚がまだ残っていたことが嬉しかった。歳も、時も、都市も、目の前から全部溶けてフラットになったお祭り空間。会場にウズまく熱気の上昇気流は大ケヤキをぐるぐると遡るように伝い、雨雲へと逆流して、どこかへ消えた。財布はあったが、中身はいつの間にかなくなっていた。そんなちょっとした後悔まで、かつて味わった片貝まつりと一緒だ。

ちょうど秋に花火が打ち上がる浅原神社の方角を背にした舞台では、全国的にも世界的にも活躍する注目アーティストが次々とライブパフォーマンスを披露した。

もはや常連とも言える「切腹ピストルズ」の熱狂的な練り歩きドンドコに加え、今年のヘッドライナーたるオオトリには、「笑点」出演歴のある落語芸術協会客員にして、英国最高峰のロックフェスティバル、”グラストンベリー”にも出演実績のある、異色の和洋折衷ブラス・ロックバンド「浅草ジンタ」。

それだけでも贅沢なのだが、まずをもってオープニングアクトの”OZ”こと絵師「山口佳祐」が圧巻だった。「祭る」の始まりは全てこの人と一緒にあったと言っていいくらいに、その時間は祝福されている。どんなイベントも、印象的な瞬間は最初の一字、初画の書き出しの一点に巻き戻される。儀式をととのえるために必要不可欠な墨の絵の具の飛散が、またこの場所でこの日を迎えられた、という感謝と祈願の交歓を象徴しているかのようだ。

それも、第10回を迎えた今回は、当代随一の絵師による歴代のオープニングライブペインティングの大作が、樹齢250年ともささやかれるシンボリックな大ケヤキの周囲をずらりと取り囲んでいたのだった。

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ある意味で大地の芸術祭か!というね。

令和元年の田舎らしいリアルさの一方で、時代を軽々と飛び越えるアーティスティックな潔さみたいなものがありました。

そして、何よりも大事な、この方々の紙芝居。そこには、知られざる佐平治の物語が綴られています。

それはまた次回に。

思いのほか、思い余って一記事で書ききれませんでした(笑)。「祭る」の記事はもう2編くらい続けさせてください。

それだけ、いい場面がいっぱいあったんですよ。

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「花火のち晴れ」は、花火のふるさと“カタカイ”の日々を記録する日記のようなものです。いつもの静かな朝から、熱狂的なお祭りの夜まで。どこにでもありそうで、世界のどこにもないかもしれない、この町の姿を伝えていきます。

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