大玉競争時代 -ふたつの日本一とひとりの職員-

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時は1980年代。長岡花火が今のように全国区でなく、片貝花火にまだ世界最大の四尺玉が登場していなかった頃。隣り同士の2つの花火が、文字どおり特大の火花を散らして激しく競い合った時代があった。

それが、今も語り草になっている“大玉競争時代”。

(なんだか、あの海賊アニメのオープニングみたいな響きになっている)

今では当たり前の「正三尺玉」も「正四尺玉」も、実はその一時代が産んだ怪物だった。途中、片貝では三尺三寸玉、長岡では三尺五寸玉といった花火まで開発された。

その歴史が辿った道筋は、のどかな田園風景に広がる新潟の花火が、全国に先駆けて大型化していく開発冒険ロマンでもある。まさにグランドライン。危険を顧みず、ライバルとの応戦に明け暮れた、大玉花火の“開発王”へと至る道。大空を一瞬にして埋め尽くす、幻のような黄金の星(島)へつづく一筋の閃光を追い求めた、男たちの熱きドラマだ。

(あつくるしく書いてしまった笑)

昭和50年代半ばに勃発したその攻防は、花火の“街と町”のプライドがぶつかり合う、国内最大の花火打ち上げ合戦となった。

【事件① 1980(昭和55)年】8月・長岡=三尺三分玉(直径91cm=正三尺玉)打ち上げ、9月・片貝=真昼の三尺玉打ち上げ(33歳前厄・永遠会)

導火線は、たったの1cm(=三分)で十分だった。

江戸時代以来の歴史を持ち、1891(明治24)年に三尺玉打ち上げを成功させている片貝には、「三尺玉発祥の地」すなわち「大玉発祥の地」としての矜持があったのだ。

両者のばちばち具合は、当時の新聞『新潟日報』からも分かる。

【事件②1982(昭和57)年】9月・片貝=三尺三寸玉打ち上げ(33歳後厄・永遠会)

なにが三尺三分だ、と三尺三寸玉の打ち上げに成功した片貝には翌年、そのビッグサイズを記念する石像まで完成。しかし、その完成直後に第3の事件が起こる。

【事件③1983(昭和58)年】8月・長岡=三尺五寸玉(火薬量120kg)打ち上げ

長岡は、中越高校の甲子園進出とあいまってお祭り騒ぎだった。

そうなると片貝のあの人が黙っちゃいない。

お祭り男・本田善治だ。町で唯一となった花火屋・黒崎煙火店から、片貝の花火文化を引き継ごうと(有)片貝煙火工業を創業したばかりだった。

目と鼻の先にライバルがいるとなれば、居ても立ってもいられなかったのだろう。善治は、三尺三寸玉の開発に飽き足らず、さらにさらに上を目指す。

【事件④1984(昭和59)年】7月・片貝=四尺玉試験打ち上げ成功、9月・片貝=四尺玉打ち上げ失敗(巣割れ、筒大破、42歳厄年・朗志会)

現在まで続くNHKの老舗番組「小さな旅」でも取り上げられた、片貝まつりでの四尺玉の打ち上げ。本番初挑戦は筒が大破する「巣割れ」で、ヘビメタバンドのモヒカンのように縦方向だけに伸びた花火の筋が、テレビに映し出された。収録放送とは言え、「おや?」「実はこれね、失敗だったんですよ」とアナウンサーもフォローのコメントを入れるしかなかった。

(それでも、打ち上げ失敗を目の当たりにした直後の朗志会会長のインタビューコメントが印象的だ。「いずれにしても最高の花火でありました!」)

しかし、これを見て黙っていなかったのは国だった。これ以上の開発は危険との声の高まりを受け(どんな政治的な裏話があったのかは、今となってはわからない)、花火打上げ時の火薬使用量を80kg以下に制限する法改正が行われ、ヒートアップしすぎた大玉開発競争にようやく終止符が打たれた。

と、誰もが思った。しかししかし、なのだ。

【事件⑤1985(昭和60)年】9月・片貝=四尺玉打ち上げ成功(筒新調、42歳後厄・朗志会)

2度目の挑戦は成功した。リベンジ。まだリベンジなんて言葉が流行るずっと前のことだった。

人々の予想と規制さえも超える前人未到への挑戦によって、この地に今の花火文化が花開いたとも言える。大玉競争というマスコミやスポンサーも乗じた大騒動の末に。かたや、不毛な争いだったという人もいる。

花火師、大会運営者、国や県、何よりも花火を愛する市民を巻き込んだ過激な渦は、四尺玉の成功によって終戦宣言がなされ、現在に至っている。

まるで古代のトロイヤ戦争か赤壁の戦い、川中島の合戦のような歴史ロマンをたたえて…

最後に、そのロマンの渦中にあって、たった1人、胸に切なさを秘めていた男の話をしたい。

長岡が三尺五寸玉を打ち上げた昭和58年、その男は長岡市商業観光課にいた。

戦後の焼け跡からの復興を目指した長岡商業祭の流れを汲む長岡まつりの担当課に、前年の昭和57年に異動して来たばかりだった。任されたのは、長岡まつりを主導する観光係。花火大会運営の実務や、マスコミ対応が男の仕事だった。長岡市役所には三尺五寸玉についての問い合わせが相次いだ。「もちろん、日本一の大花火です」。そのあとにこう付け加えたという。「もちろん、片貝の花火も日本一の大花火です」。

男は片貝で生まれ育っていた。しかも、例に漏れずお祭り男。さらに言えば、男は同級生と共に真昼の三尺玉、そして三尺三寸玉を打ち上げていた。

「まぁ、上の人は自分が片貝だって知ってたのかねぇ。隠してたわけじゃないし、職場の雑談で『同級生と三尺玉を上げてね』って話をしたら、『さすがだねぇ』なんてそんな感じで…」

それが、なんの因縁か、長岡まつりの部署へ配属されてしまった。よりによって長岡まつりで三尺五寸玉が打ち上がる年に。

マスコミが焚き付け、スポンサーもヤッキになった渦中で、両方の花火の良さを知る男は、市職員として葛藤に苛まれたという。「自分は長岡市民を愛しているし、もちろん片貝も愛している。花火だって、両方の良さがあるでしょう。今も言っているけど、共存共栄が本来目指すべきこと」

当時の思い出を聞くと、時代の生き証人はそうメッセージを伝えてくれた。

「あの頃は切ない思いがあったからねぇ。妻にも言ってなかったかな」

その男は今、四尺玉を打ち上げている。

片貝町煙火協会長として。

〜今回のインタビューは、片貝町煙火協会長・安達勇さん(70)に伺いました。

 

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