2020.01.22
日暮れは5時。あたりが真っ暗になると、雪がないとはいえ冬の寒さがコートの裏地にまでしみてくるようです。
でも実際には、コートもマフラーも身につける必要はありません。とてつもなく「デカい」火柱の熱気が、体をサウナ並みに温めてくれますからね。もうね、汗ダラダラですよ。1分でも近くにいれば。
町のお年寄りたちが言うには、この火にあたると1年間健康に過ごせるのだとか。確かに、家にこもりがちな冬にこれだけ汗をかけば、いいデトックスになってしまうような(笑)昔の人の知恵すごい。
それでは、この20メートル以上ある巨大焚き火「大サイノカミ」の点火までの見所をサクッとご紹介します。
神社参道にクロスする大通り。すっかり夜になった5時半頃。あたりに響いてくる音色をたどると、片貝まつりさながらに山車を引く賑やかな集団が! 町の食堂・美好亭の前で門付けをしているのは、42歳厄年の同級会・愛郷会(あいきょうかい)さんでした。
神社境内の大提灯には、その年の片貝まつりで記念行事を繰り広げる同級会の名前が並びます。主要キャストを紹介する大河ドラマのオープニング的雰囲気があります。どれも主演というのが、この町の大河ドラマの流儀です。
(本当にものすごいドラマチックなあれこれが、その役に当たる学年それぞれにあります。厄年というより、“役年”と言えるかも)
さあさあ、半年以上も先の話をしているうちに次の主役がやって来ましたよ。最年少主演団体の入場です。
威勢のいい新成人、兎龍会(うりゅうかい)。膝まで余裕で隠れる長半纏をロングコートのように揺らしながら、手にした特製の提灯を振り上げて「でんでぼっこ」。鳥居をくぐって参道の坂道を “坂のぼって” いきます。
参道の両サイドに並び立つ300本のロウソクを駆け抜けて。
この「108灯」には、1本1本に町内の協賛企業や新成人の名前が記されています。
実は、(町うちの感覚的には)1年間を締めくくる片貝まつりが終わった10月、翌年のまつりに向けて早くも動き出した彼ら成人同級会がまず取り組むのは、このロウソクの手配。町にある1軒1軒の商店を周り、ロウソクの協賛を集めてくるわけです。なんとも、お疲れ様でした。
準備が整って「本番」がくれば、あとはひたすらに楽しむ!エネルギッシュ!
もちろん、この練り歩きにも意味があるので、彼らが運んでいる道具に少し注目してみましょう。
不思議なのは右側。僕らがハタチの頃は、おふれがきのようなものが刺さった杉玉のことを「マリモ」と呼んでおりました。(親しみを込めてですよ!)実は大事な浅原神社の神様のようなものだそうです。
左側の白い箱(ボロボロ)は、奉納煙火の玉箱。彼らがこの後打ち上げる祝成人スターマインを運んでいる、ということになるわけです。先頭にはサイノカミを燃え上がらせる御神火を送りながら。
いいよねー、青春。最近はアオハルっていうんだねー(おっさん)
炎の薄明かりに照らされているとはいえ、若者自体が光を放っているかのような、まぶしい瞬間をたくさん見させてもらいました。
時刻は7時を周り、神社に大勢の町民が詰め掛けたところで、成人の小サイノカミに点火。町はずれから練り歩き運んで来た松明の御神火がやっと、威力を発揮します。
いやぁ、泣くよね。こうして写真になってしまうとね。
(この感動をうまくお伝えしたいのですが、非常に文学的なもののような気がするので、ここでは沈黙を守ります。「余韻」とか「門出」などと簡単に言い尽くせない情感が、この瞬間、この場を包んでいたように思うのでした)
そうして会場はクライマックスへ。奥に成人の小サイノカミが見えます。
舞殿では、先ほどの42歳厄年・愛郷会さんや市長、県議が挨拶後、盛大に餅まき。待っていましたと、お餅&「こっちにももっと投げて!」のヤキモチが飛び交う。とってもにぎやかな新春の人の海です。
なかには、投げたお餅(ビニール袋入り)が高速のあまり発光するほどの強肩のヌシも。四十肩もなんのそのの42歳、しかもアンダースローで。おそるべし(笑)
いよいよタイム・ハズ・カム。本日のメインイベントの大サイノカミに火が灯りました。火柱が凄まじくて、しばらくは誰も近づけないほど。
合わせて、当然のごとく打ち上がる花火(スターマイン)や仕掛け花火が、やっぱり片貝独特の光景を作り出しています。
視界を塞がんばかりの煙を浴びるのも好きというか、抵抗がないのもこの町の人の楽しみ方なのかなとも思っています。
(一方で、花火メインのカメラマンさんにとっては、撮影が非常に難しい条件が揃っている難所=名所でもあります。腕試しに是非。今年も20名くらいのカメラマンさんが三脚を立てていました)
炎がだいぶ良くなって来た頃合いを見計らって、竹竿にスルメを吊るした通称「サイノカミセット」を火に近づける町民のみなさん。この地方共通の風物詩です。
それにしても、火というのはあっという間に燃え上がり、燃え尽き、衰えていくものですね。
時に激しく、時には穏やかな火を囲んだ温かな時間は、人々が家路へ引き返す波とともに町中に散り散りになっていきます。ふり返ってみれば、冬であったことを思い出すのはいつも、新たな思いを抱きながら元ある場所へと歩いて帰る、耳に痛いほど静かな道のりでのことでした。
と、思わずポエマーになっちゃいますよね(笑)
また今年も、新しい物語が始まったんですから。
そんな気持ちの上での変わり目が、この伝統的な季節行事には隠れているみたいです。
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「花火のち晴れ」は、花火のふるさと“カタカイ”の日々を記録する日記のようなものです。いつもの静かな朝から、熱狂的なお祭りの夜まで。どこにでもありそうで、世界のどこにもないかもしれない、この町の姿を伝えていきます。