片貝の人はなぜ花火を打ち上げるのか?

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答えられない質問

延期を経て中止となった令和3年の片貝まつり。
それでも、浅原神社の秋季例大祭が11月6日、延期後の日程で開催された。

それに合わせて、昨年度新成人・兎龍会と今年度新成人・晴葉会の2学年が合同で玉送りを行い、それぞれ初めての花火を無事に打ち上げた。本当によかった。

沿道では、自宅の前から見守り、祝福する町民の姿があった。

「正解のない中での回答」

そんな風に語っていた関係者の言葉が印象に残る。
この日、美しく弾けた花火とともに、成人同級会の彼らの輝くような姿はたしかに十分な答えだったように思う。

「そもそも、なんで花火を打ち上げるんですか」

片貝の人にとっては、この質問に答えることが一番難しい。

少し戸惑いながらも、自分なりの言葉で答えていた新成人で迎えた片貝まつりが懐かしくよみがえってきた。11月6日に打ち上がった成人の花火に関連して、NHKの取材班との何気ない会話の中で久しぶりにこの質問を突きつけられたのだ。

まぶしい光と大きなテレビカメラを向けられて、たった今打ち上げ終わったばかりの花火を見上げていたリアルな気持ちを言葉にすることは、本当に難しい。

その時、自分がなんと答えたのか、それがしっかりと “ 答え ” になっていたのかも、覚えていない。

なぜって、まず一息に説明することができない。
少なくとも20分は話をしないといけないことになる。その道の第一人者を特集するドキュメンタリー番組みたいに、短い言葉で、気の利いた言葉で期待に “ 応える ” ことができれば良いのだけど、そうはいかない。

メモを用意していたって、花火のあとには一度白紙になるだろう。

実際、この質問の回答は、片貝の人でも答えがそれぞれに違うことだってありえる。年により、まつりとの関わり合いにより、そして時代によっても、「なんで花火を打ち上げるのか」は様変わりする。

答えがない、というよりも、一言で答えられない。ひとつひとつ答え終わらない。それがリアルかもしれない。

実は明快な “ 答え ” を持ち合わせていなかったりする。
少なくとも頭の中には。とはいえ、強く握りしめる手のひらの内に、強烈な思い入れや文脈が血液のように流れているのを感じる。だから、いつも9月の片貝まつりに向かって体が自然に動いて、視線は空を向いている。長く短い準備も当日も、気づいた頃には時は夜だ。

答えはいつも、最後の最後に夜空を埋め尽くす。時には涙であったり、雨であったりする。何度繰り返してきたのかわからないけれど、毎回毎回新しいドラマがある。

歴史や伝統といった構えたフレーズは、あまり大きな理由にはならないとも思えた。若さがみずから望んで、この日の夜空に向かっていく動きや意思を感じるからだ。呼吸のように必然のバイオリズムが、片貝の人のDNAにはとっくに織り込み済みなんだろう。

それは渡り鳥の帰巣本能にも似ているだろうか。

初めて空へ飛び立とうとする若鳥に、理由は必要だろうか。

これまでは疑問に思わないほど自然なことだったから、誰も明確な答えを持ち合わせていなかった。その点では、コロナ禍の混乱は、多くの人に立ち止まって考える機会をくれたのかもしれない。

水がうまいとか空気が澄んでるとか、星が綺麗だとか、そんな当たり前のことは旅の人と話して初めて気づくことだ。

「花火は打ち上げるものですよね?」

逆に質問で返してしまっても、許してほしい。
禅問答のようで、答えになっていない答えでも、それが今の精一杯なリアルだという気がする。花火そのものが回答なのだから。

 

 

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「花火のち晴れ」は、花火のふるさと“カタカイ”の日々を記録する日記のようなものです。いつもの静かな朝から、熱狂的なお祭りの夜まで。どこにでもありそうで、世界のどこにもないかもしれない、この町の姿を伝えていきます。

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